私どもの酒蔵は 明治20年の創業以来この地で酒造りを営んでおりますが、昭和20年9月 枕崎台風の際の大水害で 創業蔵をはじめ、本宅を含む7棟の建屋を流されてしまいました。現在の蔵は 当時の水害で残った建物を主として利用しています。一部の建物は川に流された柱を拾ってきて 再度、建材として利用したと聞いております。こうした事情により 弊社のルーツや主要銘柄の【白鴻・はくこう】の由来等の古文書は流失しており、現在 明らかにされていない事柄も多くあります。
そのような苦難を乗り越え 今日まで酒造業を営むことができているのは 先人の知恵と努力、これまで弊社を支えて来ていただいてきた杜氏・蔵人、地域の方々、そして白鴻をご愛顧頂いているファンの皆さまのお陰であると常々感謝しております。
私が家業を継ぐ決心をしたのは 平成元年のことです。先代の急逝を受け 全く異なる業界でサラリーマン生活を送っていた私は いつかは日本の文化を海外に伝える仕事をしたいといつも夢見ていました。そして よく考えると私が夢見ていたことは 私が家業を継ぎ、日本酒を通して日本の文化を海外の人達に伝えることと一致することに気づいたのです。そして この地に帰る決心をしました。
当時 日本酒の輸出はまだほとんど行われておらず、無謀ともいえる決断でした。しかし ここ数年来 日本食とともに日本酒が海外に輸出されるようになり、ようやく 当時の私にとって夢のまた夢であったことが現実化されようとしています。
私は 日本酒を日本の文化のひとつとして捉えています。日本酒は 日本人のココロに深く通じるものがあると思っています。日本には美しい四季があり 日本人はそれぞれの四季を愛でながら、 またある時は戦いながら 自然と向き合ってきました。そこには その季節に応じた日本酒がありました。春には 花を愛でて酌み交わす花見酒、夏には 菖蒲を浸して無病息災を願い、秋には 月を見上げて月見酒、冬には 雪を見ながら雪見酒・・・。いかなる時にも日本酒がそばにありました。
また お祝いの席にも、反対に お葬式の時にも 日本酒はそばにありました。嬉しいときにも 悲しいときにも 楽しいときにも 日本人のそばには 必ず日本酒がありました。
弊社が創業以来受け継いでいる心は 『汲むほどに 味も香りも 深き酒』であることです。すなわち日本酒の味と香りを主張し過ぎることなく、食事とともに楽しめる酒でありたいということです。
現在 酒造りを担当している杜氏は私の実弟です。私も 杜氏も この心を共有しています。どこにいても いつまでも飽きがこず、チビチビ飲み続けることができる酒、《白鴻》。それが 私たちの目指す酒です。
これまで《白鴻》をご愛飲頂いている皆さまには引き続きご愛飲頂き、まだ《白鴻》と出会われていない皆さまには ぜひ一度《白鴻》をお試し頂ければ幸いに存じます。

盛川酒造 第7代目 蔵主
盛 川  知 則

盛川社長
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